日本科学未来館の特別展「きみとロボット ニンゲンッテ、ナンダ?」に行ってきた。ロボットの展示としては屈指の内容であった。ロボットの歴史から、現代の最新ロボットやAI、これからの科学技術の発展性について考察する機会を得た。ロボットは人間の模倣から始まり、やがて人間を超えるかもしれない。
1.ロボットの歴史
ロボットの歴史は新しいようで古い。人格を持った機械という意味では人類の歴史に登場したのは20世紀前半で、始まりはSF小説だった。有名で代表的な作品がアイザック・アシモフ著「われはロボット」である。しかし人造人間という概念でいうなら、世界各地の紀元前の文書に登場している。江戸時代のカラクリ人形もある意味でロボットである。
日本は、ロボットの歴史においてアニメと技術の二つの側面で世界に貢献した。手塚治虫先生の鉄腕アトムや、藤子・F・不二雄先生のドラえもんなど、多くの作品がロボットのイメージを期待を膨らませた。個人的な感想として、日本のアニメや漫画は性善説に基づいているように思える。どちらかというと欧米のSF作品はロボットは人間の立場を奪うという解釈が多い気がする。
ロボットの技術面においても日本は大きな役割を果たしている。各メーカや大学で研究開発がされて、ASIMOやAIBO、Pepperなどのロボットが作られた。これらのロボットはひょっとしたら欧米人には意味不明だったかもしれない。特にASIMOは、二足歩行にこだわる日本の技術者の思考回路にクレイジーと思っただろう。多分日本の技術者はアトムなどの人間型ロボットが強くイメージされていたのだろう。
2.人間の能力の拡張
ロボットの研究は人体の研究でもある。ロボットの動作を追求するには、関節や信号伝達など人体から模倣されている。そのような研究は人体の構造や動作を改めて見つめ直す機会になっている。あるいは人間の機能の再定義について考える機会を作っている。
第3の手や尻尾は本来人間には無いはずの部位であるが、最新技術によって実用化しつつある。脳の信号を伝って機械の手を動作することできる。尻尾も同様である。あるいは人間の動作を拡大するパワードスーツも研究されている。義手の代わりにギターをつける試みもされている。これらはいずれも人体の可能性を拡張する研究である。
3.遠隔操作ロボット
危険な場所や遠隔地で働くのにロボットは活躍できる。その目的は様々である。newmeは遠隔地の観光地を自由に歩き見て回るための観光特化型ロボットである。newmeは遠隔の人と話すこともできる。
Airpeakはドローンにカメラを搭載して、地上にいながら空からの風景を観察できる。単に観光や撮影目的だけでなく、土木作業や建設作業においても活躍することができるだろう。
人機一体は土木・建築用ロボットである。人間には不可能な力作業や危険な作業を、直感的な操作で可能にする。個人的には名前がかっこよくて好きである。ある種のパワードスーツとも言える。
Orimimeはかなり特殊なロボットである。このロボットは身体的に障害のある人でも操作可能なロボットで、遠隔地の接客業などに用いられる。
4.弱いロボット
弱いロボットとは便利さを追求する高性能ロボットとは一線を画す、一見役に立たなさそうなロボットである。弱みや欠点を晒すことで、人とのコミュニケーションを促すことを目的としたロボットである。私のような技術至上主義の人間からすれば理解しにくいコンセプトであるが、ひょっとしたらこれも人間の心を満たすためのロボットなのかもしれない。
弱いロボットの代表はSONYのAiboであろう。ペット用の犬型ロボットである。第一世代が2000年頃に販売されたが残念ながら生産中止となり、近年再登場となった。ロボットのペットなんて何の役に立つかと思われるだろうし、今でも謎である。私も正直可愛いとは思わないし、ペットの代替になるかはわからない。しかしペットが飼えない家では使えるのかもしれない。
同じくペットの代替ロボットとしてQooboがある。これは尻尾だけのロボットである。これもなかなか謎であるが、モフモフ不足の人がお手軽にモフモフチャージができるという利点はある。しかし猫好きの友人曰く「笑止」らしい。
SHARPのRoBoHoNはスマホの機能を持つロボットである。従来のスマホの機能に加えて立ったり座ったり踊ったりできる。その機能に一体何の意味があるかは不明であるが、意外と販売されてから長いので、そこそこ売れているのかもしれない。
む〜はもじもじと会話するロボットらしい。私ならはっきりせいやと言いたくなりそうだが、井戸端会議のような雑談が好きな人には向くのだろうか?とにかく弱いロボットは謎だらけであった。
5.ロボットとAIによりヒトはどうなるか?
ロボットの機能を追求するためにはが人体の動作を研究する必要があるが、AIの進化には脳と心の研究が必要である。それは人体以上に困難な研究である。脳の作用は電気信号のはずだが、その機能はあまりに多彩である。こころとは何かを再定義するきっかけを与えてくれる。
AIとロボットはひょっとしたら人間の死を超越するかもしれない。もしある人の脳をダウンロードし、ロボットやクローン人間に移植したら、その人はまだ生きていると言えるのだろうか?あるいはメタバース上の人は、その人自身なのだろうか?
すでに亡くなっている偉人のAIを導入する研究はすでに始まっている。偉人と認められた人は永遠の命を得ることができるのかもしれない。しかしそれは幸福なのだろうか?
ロボットとAIの進化は今後おそらく止まることはない。そのとき人間の役割はどうなるか?ヒトとロボットの違いはなんだろうか?命やこころとはどのように定義されるだろうか?疑問は尽きない。
本特別展は2022/8/31まで開催されている。ロボットや技術好きはぜひ訪れていただきたい。
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